LISTENING SUICIDAL

2006年9月10日 音楽
内容 (「CDジャーナル・レビュー」より)
たとえば暴徒の仕業とすればわかりやすいかもしれないBOaTの世界。しかし、音も言葉もルックスもやたらゴチャゴチャと濃密だけどスマートだろ? って迫られれば、うなずかざるを得ない。ここが肝心なところ。一聴、いろんな要素が怪しくスクラップされているけど、性能は抜群。高い有機指数でミクスチャー・ボディを完成させているのだ。というわけで、何をどれだけいかにしてモノにするか。勢いや衝動を命題としながら、決して円熟に向かわせないためのヴァージョン・アップとは。その過程で幾多のバンドが葛藤を続けているけれど、彼らの場合、難なくそこをクリアする回路を最初から備えていたようなフシがある。その意味では実にバンド原始人類? な♂2♀3。おバカなまま進化を遂げられるなんてことが今時でもあるんですねぇ、ごく希に。
ファースト・インパクトは一昨年のインディーズの『フルーツ☆リー』。局地的な激震がおさまらぬままに翌年の2枚目『ソウル、スラッシュ、トレイン』で増幅し、ポイントではVS.オリヴィア・トレマー・コントロールからC/W.野村義男までエポックな果たし合いを続行。そしてこのメジャー発サードでいよいよ全国規模の怒涛の揺れを目論むというその波形は、さしずめPファンク傍系2000ってところ。プリンスとかスティーヴィー・サラス、ジョージ・クリントンとつるんでた頃のレッチリとか、スタイルやスキル以上に強烈な気迫そのものでヤリ込めていくってことでは同じ穴のムジナとみていいのでは。爆音に泣きメロを忍ばせるアグレッシヴなセンチメンタル・モード。鮮やかな毒気に彩られた喜怒哀楽と言語中枢。すべては汗まみれの情緒から。そんなプリティ・ファンキー・ハードコアな(≒向こう見ずな)小舟の旅に一人の添乗員が。気概を同じくする兄貴、エルマロ~FOEの曾田茂一である。ノアの方舟たらしめる舵取り役が決まったところで全速前進。では皆さんも、心中覚悟で。 (除川哲朗) --- 2000年09月号


去年、初めて聞いたとき「あぁ生きてて良かった」と思いました。
って、おおげさか。でも、このアルバムはこれからも気が向いたときに、棚から引っ張り出して聞くと思います。いつ聞いても楽しい気分になれます。4曲目はあまり好きではありません。

 今日は、徴兵された兵士になる夢を見た。
自転車で帰宅してドアを開けると、そこに高校生くらいの男が立っていた。よく見ると、同じ中学の一つ上の先輩に似ている。誰だか、わからないまま、話かけた。
「人の家の前で、なにやってんの?」と。
男がふてぶてしい顔を向けた。

そんでもって話を聞くに、先輩の弟であることが判明。しかも、先輩は戦争で死んだことになっていた。泣き始めたので、「よくわからん、戦争なんて起きてたっけ...」と思いつつ、他人が持ち得るであろう精一杯の同情心でもって、弟をなぐさめた。

泣き止まぬ先輩の弟。立っているのがつかれたので、家に入り進むと、そこには沢山の人がいた。誰か死んだみたいに、気分の沈んだ人ばかりが、フローリングの床に布団を敷いて思い思いに寝転がっている。
部屋の入り口に突っ立っていた私は、いつのまにかTシャツ短パン姿であり、季節は夏であった。セミが鳴いているし、陽が沈んでるのに室内は熱かった。

そこで「明日から戦争行かなきゃいけないんだっけ。」と思い出だした。かなり飛躍があるのだけれど、集まっている人たちは徴兵された人たちらしく、それぞれモゴモゴと愚痴を零していた。
「あぁ、お前はいいよな。俺なんか明日から戦場だぜ。」みたいな口調で。

「なんでこの人たちは、俺の家にあつまっているのか」と考えつつ、寝る準備をしようとボストンバッグを開けると、中にはバスタオルと洗面用具と横尾忠則の自選ポスター集が入っていて驚いた。
「もっと他に持っていくもんがあるだろう。なんでこれを鞄に入れたのだ俺は。」と思いながら、私は「もし画集がみつかれば、非国民扱いをされ、同じ部屋の奴らに袋叩きに合うかもしれない」と心配していた。(いまいち、なぜ非国民なのかわからないが)

目が覚める。

いつもどおり犬の散歩。午前7時の太陽はまだ夏みたい。
強すぎる日光に目を細めて、一向に前に進まない犬に諦めの視線を注ぐ。

犬と歩いていて思ったのは、もし戦争が起こったとしても、いま聞いているような音楽を自分は必要とするだろうか、ということだった。

たとえば、横尾忠則のポスター作品集を、夢の中の戦地に持っていく気にならなかったのと同じで、戦争勃発後にも聞くであろう曲や歌の入ったCDは、自分の本棚には、ほとんどないと思う。

ファッションで音楽を聞いてるとは思わないし、ファッションで聞いている人がいてもいいと思うけど、本当に必要としていないならば、ファッション以外の何ものでもないんじゃないだろうか。
やっぱ根っこには、そういう疑問がある。本当にこれって必要なんだろうか。ってやつ。意義ってやつだ。

あの、横尾忠則のポスター作品集が”全人類にとって”ファッショナブルなものというわけじゃなくて、あくまで”自分にとって”の話です。

今度からCDを買うときに、戦争が起こった時を基準にして考えようかと思った。

んでもって、今日は図書館バイトだったので、いつものように車を運転しているときに、音楽を聴いたのだった。
「Listenning Sucidal」を聴いていて思ったのは、音楽はあんまり考えでないで聴くのが一番だな、ということでした。

どっちやねん。

追記
boatは、ジミヘンのコピーをしたりした時代があったそうです。

http://www.youtube.com/watch?v=_K-7a0nSHvs

「jimi Hendrix-Like a rolling stone」

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