昭和歌謡大全集

2006年6月16日 映画
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定期的にカラオケパーティを開いている6人の少年グループ(松田龍平、安藤政信、池内博之など)と、全員ミドリという名前のおばさん6人(樋口可南子、岸本加代子、鈴木砂羽など)が、ちょっとしたいさかいからいつしか殺しあいへと発展。しかもその武器もどんどんエスカレートしていき……。
村上龍の同名小説を『はつ恋』『命』などの俊英・篠原哲雄監督が映画化した近未来風ノンストップ・バイレンス映画。しかし、そのテイストは一貫してブラック・ユーモアにあふれたもので、またそれらのシーンをタイトルさながら『恋の季節』『また逢う日まで』などさまざまな歌謡曲が一見何の脈絡もなく(!?)彩り、一段と不可思議な映像空間へといざなう。殺し合えば殺し合うほどお互いのグループが生き生きとし始めていくという、病める現代日本に棲息する者たちの屈折したパワーの解放がすさまじくもおもしろい。(的田也寸志)


 以下、感想文。(かるくネタバレ)

 この映画で、笑えるシーンのほとんどが、人を殺すシーンなのはなぜなのか。ちょっと考えました。ナイフで裂けた喉がみたいに、血をドバーって出すシーンとか、バズーカで人間を吹き飛ばすシーンとか、今思い出しても笑いたくなる。それは現実感がないからじゃないだろうか。

 1.オバサンVS若者のバトルロワイヤルに発展する無理さ加減
 2.派手な出血シーンに「ちゃんちきおけさ」
 3.まともな人が出てこない
 (せりふを喋る人がみんな、だれかに喋らされてるみたい。これは演技の問題もあると思うけど、演出とか脚本のせいじゃないかと思う。あえて狙ったのかもしれない)
 4.これみよがしに繰り返される人生論
(「人の話はちゃんと聞きましょう」とか、「夢中になれるものをみつけましょう」とか。大切かもしれないけど何回も言わなくてもいいだろうよ。そういうの小学生の時に習ったし、、、みんな出来てるかは別にして。)

 そんなありえなさが、この作品の面白みだと思う。ただ、ラストに近づくにつれて、満腹感でいっぱいになってくる。もしかしたら意図的な試みなのかもしれない。頭が病気になりそう。

村上龍が「こんな才能のある映画監督がいるなら、自分が映画を撮る必要はないような気がします」みたいなことを言っていたので、見たんだけど、正直、あんまりしっくりと来なかったです。見なきゃよかった、と思うくらい。この作品は、キルビルと目指すところは似てるような気がする。なにやら深作欣司チックな映画でした。どうせ虚構性を押し出すなら、説明的で冗長なシーンを削って、もっとありえなさを倍増してほしかった。

 見た後に元気が出るような作品を見たいなら、棚に戻すことをおすすめします。少なくとも私は、見た後にため息が出そうになりました。いや、ブラックなコメディを楽しめる人ならいいかもしれない。キルビルのほうが娯楽作品として面白いと思います。

 拙者、芸術性はわかりませぬ。

追記
理解できないもんだから、ただけなしてるだけかもしれない

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