アンソニーのハッピー・モーテル
2006年1月29日 映画Amazon.co.jp
まぬけで地味なこのコメディはインディーズ映画としてはヒットしてもよさそうだったが、さほど注目されなかった。職業の選択を間違えた友人についてじっくり描いたすばらしい犯罪映画なのに残念なことである。ウィルソン兄弟が演じるのは、控えめなアンソニー(ルーク・ウィルソン)と神経質なディグナン(オーウェン・C・ウィルソン)。2人は、けちな泥棒になりたいというディグナンの野心から犯罪者の道を歩むことになってしまう。数回ふざけて気軽に泥棒のまねごとをしてみたのち、このままではうまくいかないと気づいた彼ら(3人目の仲間も加わっている)は、ベテランの大泥棒(ジェームズ・カーン)と手を組むことにする。
あくまで何食わぬ調子で淡々と話が進んでいくので、この作品ならではのおもしろさがどこにあるのか、詳しく見てみなければならなくなる。だがいったんユーモアのありかが分かれば、きらめくユーモアがたくさんあると気づくだろう。とりわけオーウェンが演じるディグナンは、実に個性的でおもしろい人物だ。彼はあまりにも真剣に自分の目標に向かっているために、自分のアイディアがどんなにばかげているか気づかない。のちに『アルマゲドン』『パーマネント・ミッドナイト』でディグナンのようなまぬけな役を演じるオーウェンは、本作品ではウェス・アンダーソン監督と共同で脚本を書いている。(Robert Horton, Amazon.com)
”いや、ぜんぜん変わんないねぇ。”去年の大晦日に会った友達に言われた言葉である。厄払いの時に、7年ぶりに会った中学の同級生にも同じ事を言われた。
中学の時の自分を回顧しながら、心の中で「ずいぶん成長したもんだ。」と自己愛の混じった自画自賛をこいたりしていた本人としては、彼ら(彼女ら)の言葉は心外だった。「いや、そんなことはないぞ」と否定したかったのだが、考えてみると否定するほど根拠も自信もなかったのである。
もしかしてなんも変わっとらんのではないかいとしばし自問自答、そのあとに唯一つ思い当たったのは、”映画や本や音楽の消費生活をへて、少しモノの見方と価値観が変わったということ”である。
「前にはなかった考え方ができるようになった」と言えば、聞こえはいいが、ただ中途半端にひねくれたようにしか思えない。
うまくなったのは、言い訳の仕方である。それも、中学生の時から比べれば大人になったか、と問われれれば未だ幼稚なレベルであり、救いようもあったもんじゃない。
なんて具合に、劣等感をダシに自分語りをしようとする姿勢も変わってないように思う。やってることは、自己愛の裏返しじゃないだろうか。
ただ、そういうのは承知で、さらに言うなら今の自分は嫌いだし、前の自分も嫌いだ。
ダメ男ぶってたり、クールぶってたり、ナイーブぶったり。
わけわからんが、こういう風に自意識過剰な文章を書いてる自分にも自己嫌悪だし、これまたそのことを書いてる自分も自己嫌悪。
書くことによって、取り繕うとするたびにほころびが出るのにやめられない、自己弁護を含めた嫌悪のループ。
はっきり言って意味分からんし、変だ。
けど、ぐるぐると回り続ける。
でも、やっぱ言葉にするとすっきりする。
つーか、考えすぎだ。
自分の脳みそ相手にして的を得ないことを書いてる暇があるなら、部屋を片付けて9時前に寝るほうが、まだ建設的だろう。
結論
変わったとか変わらんとか、考えてる暇があるなら早く寝よう。
レビューするのを忘れてました。ウェスアンダーソンの映画に出てくる人たちは、どこか偏ってる人が多いのになんだか憎めなくて、好きです。
自分勝手だったりするんだけど、そんなとこも含めて魅力的に感じられます。(これ、レビューじゃないよね...)
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